小野アンナ記念会

小野アンナ




      小野 アンナ (おの あんな)


 旧姓 Anna DmitrievnaBubnova (アンナ・ディミトリエヴナ・ブブノワ)



 父親はロシア帝国官僚、母親は貴族出身。語学と音楽に秀でた母親の影響のもとで、ブブノワ3人姉妹はみんな芸術家となり、姉ワルワーラは美術家になり妹マリヤはピアニストになった。

 アンナははじめ母親の手ほどきでピアノを学ぶが、10歳よりヴァイオリンに変わり、1908年から1913年までペテルブルク音楽院において、レオポルト・アウアーらにヴァイオリンを師事。ペトログラードで同地の日本人留学生・小野俊一(動物学者・社会運動家)と出逢い、1917年5月に結婚。

 翌1918年革命中のロシアを離れ東京に向かう。長男の俊太郎を出産後、音楽の早期教育をほどこすが、俊太郎が虫垂炎で少年期に夭折したため、俊一との関係もうまくいかなくなり離婚した。

 その後も長らく「小野アンナ」名義で日本でヴァイオリン教師として教鞭を執り、戦後は武蔵野音楽大学で後進を指導しながら、桐朋学園子どものための音楽教室にも務めた。

 1958年に、姉ワルワーラとともに惜しまれつつソ連に渡り、グルジアのスフミ音楽院にてヴァイオリン科教授に就任した。



  略歴


1890 (明治23)  3月14日 ブブノワ家の三女としてペテルスブルグ(現在のレニングラード)で誕生。

             5歳より母にピアノの手ほどきを受ける。

1900         ヴァイオリンを学びはじめる。

            最初ザイツに、のちヴァンツェコワに師事。

1904         ペトログラード音楽院入学、ナルヴァルジャンに師事。

1911         同音楽院卒業。

             レオポルド・アウアーのもとで研修。

1913         フリーアーチストの称号を受ける。

1918 (大正7)   ペトログラード大学に留学中の小野俊一と結婚、教職を辞め夫と来日。

1919         長男俊太郎誕生。

1933         俊太郎死亡。

1935         小野俊一と協議離婚。

1943         毎日音楽コンクール審査員となる。

1946         武蔵野音楽大学教授に就任。

            その後、子供のための音楽教室、桐朋学園高校音楽科・同短期大でも教える。
1959         音楽教育に貢献した功績により勳四等瑞宝賞受賞。

1960         ソ連アブハジア民族自治共和国スフミ市に帰国。

            スフミ音楽院教授に就任。

            姉のワルワラ・ブブノワと共に暮らす。

1979 (昭和54)  5月8日 逝去。